物流の歴史
こんにちは、コジマです。
なんだか気温がおかしなことになっていますね。11月なのに27度を記録したところがあったそうですね。なのにここ名古屋では来週からは一気に10度台に気温が下がるんだとか。体を慣らす暇もないですね。くれぐれも体調を崩さないようお気をつけくださいね。今週は物流の歴史のお話です。それではお付き合いください。
物流の歴史
ある物事について深く知るには、その歴史的な経緯をたどる必要があります。物流の歴史から高度経済成長期そして現状を俯瞰しながら、時代ごとの物流の役割と課題について探っていきたいと思います。
水運が発達した江戸時代
厳密な意味での物流とは異なりますが、日本で生産地から消費地へのモノの流れがある程度確立されていたのが江戸時代だそうです。当時は利根川などの水運が発達し、建築資材である木材や農産物は川の流れに乗って江戸まで運ばれていました。川のほとりにはいくつもの河岸が設けられ、そこで荷受けが行われるといった具合です。一方、当時の陸路は舗装もされておらず、せいぜい小型の荷車を引いて短い距離を移動する程度で、大量の物資を輸送するとなると水運を利用するのが当たり前でした。それが難しい場合に限りやむなく陸路で輸送を行っていたそうです。
物流という概念が登場した戦後
陸路の未発達は戦後の1950年近くまであまり変わらなかったようです。実際、都心部以外では道路はほとんど未舗装のままで、輸送車両もスピードが出せず、少しでも急ごうとすれば悪路の影響で荷物がダメージを負いかねない状況でした。商品の破損を防ぐために、厳重な梱包が不可欠でそのためのコストが負担になっていたようです。こうした状況をなんとか改善しようと、当時の政府は物流の先進国であるアメリカに視察団を送り、その成果を持ち帰ることに成功。商品をスムーズかつスピーディーに流通させるにはインフラの整備が重要なこと、荷役の機械化や合理化が不可欠なこと、今で言う物流センターや倉庫といったターミナル機能の拡充が必要なことがようやく国内でも共通認識化していったのもこの時期です。何より、生産と消費をつなぐ物流の重要性がクローズアップされたことは画期的な出来事だったと言えるでしょうね。なお、当初、原語のまま使用されていた「Physical Distribution」という概念が「物的流通」と訳されたのもこの当時。この物的流通が転じて「物流」と呼ばれるようになったそうです。
大量生産・大量消費時代から多品種少量消費時代へ
オリンピックや万博の開催に伴って全国の道路が整備され、陸送に適した環境が充実した高度経済成長期。この頃は、大量生産・大量消費時代とも言われ、どんな商品でも作れば作るだけ売れました。そんな状況だけに生産者はモノづくりに、流通に携わる者は売ることに専念すればそれですべてがうまく行くという時代でした。しかし、景気が後退し、人口減少や高齢化が進み、多品種少量生産・消費が当たり前になってくると、利益確保のために生産と流通が一体となって物流の最適化を図っていく必要が生じてきました。
現在の物流
消費者のニーズが多様化し、多品種や小ロットでの生産体制や在庫管理が不可欠となった現代では、もはや生産者はモノづくりだけ、流通部門は売ることだけに専念していては立ち行かない時代です。双方が情報共有しながら、「必要なモノを必要とする人に、必要な数だけ、必要なタイミングで届ける」取り組みが何より不可欠だからです。その基本となる概念が「ロジスティクス」です。ロジスティクスとは、複雑なモノの流れを一元管理して、物流をより効率化するための考え方です。ただ、本来、ロジスティクスとは企業内における物流の最適化を意味する用語ですが、近年ではさらに原材料の供給先から生産者、流通、販売業者も含めたすべての過程を最適化する「SCM(サプライチェーンマネジメント) 」という考え方に発展・定着しています。このロジスティクスという考えが物流を大きく変え、生産と物流の結びつきを強固なものにしました。
いかがでしたでしょうか?江戸時代では船で運ぶことが主流だったなんて初めて知りました。何事にも歴史があって面白いですね。
それでは次回のブログでお会いしましょう。
コジマ。
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